ステラコーポレーション
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マリア出現の地 ルルド

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場所・行き方

フランス地図南フランスのピレネー山麓にある町。聖母マリアのご出現と奇跡の泉(霊泉)で知られています。
パリ・オルリー空港とロワジー空港からの定期便は1日1便。シーズン中(5月~9月)は便数は増えますが、日帰りはできません。
空港からルルドの中心まで約10km、タクシーで15分程度です。
フランス国鉄(SNCF)ルルド駅は町のほぼ中央にあり、聖域には徒歩でも約20分の距離です。

聖母マリアの出現

1858年2月11日から4月7日までの間、18回にわたり、ルルドの村の貧しい家の少女であったベルナデッタの前に聖母マリアが現れました。
ベルナデッタの証言によると、16、7歳の(若い)美しい貴婦人が白い着物を着て空色の帯をしめ、右の腕にロザリオをかけていたといいます。そして罪人の改心のために祈るようにすすめられました。
最後の出現のとき、ベルナデッタが「あなたのお名前を教えてください」と願ったところ、貴婦人は神様に感謝するよう天を仰いでから「QUE SOY ERA IMMACULADA COUNCEPCIOU」(ピレネーの方言で「私はけがれなき(無原罪の)やどりです」)と仰せになりました。そして手を合わせ、「この世ではなく後の世で幸せな者にしてあげます」と、ベルナデッタに約束されました。
洞窟に現れた優雅さ、美しさは、ベルナデッタにとって生涯忘れられないものとなりました。
ベルナデッタがご出現にあう度にそのベルナデッタの姿を見たいと群集は増え続け、一緒に祈りを捧げ、洞窟の前に1万人も集まったとされています。その時の様子を彷彿とさせるろうそく行列が、今も夜の9時に始まり、「アベ・マリア」の歌声が響き渡ります。

奇跡が認められるまで

この「無原罪の宿り」という教義は、このご出現の4年前である1854年に、教皇ピウス9世によって宣言されたもので、無学であったベルナデッタがそのことを知る由もなく、ましてや考え出すことも出来ません。意味のわからない名前をきいたベルナデッタは、その名を忘れないよう、声に出して繰り返しながら、司祭館にとびこんで司祭に告げたとされています。
司祭はベルナデッタが自分のことをそう呼んだと勘違いし、叱責しますが、ベルナデッタが「出現されたあの方がそう呼んでいた」ということを知ると愕然とし、出現しているものが聖母マリアであったことをようやく認めました。しかしながら教会が公式に認めるまでには、長い年月がかかり、1862年1月18日に真正なる奇跡としてようやく認められました。

ルルドの水

1858年2月25日のご出現の時、聖母マリアは「泉に行って水を飲み、顔を洗いなさい」とベルナデッタに言われます。洞窟のそばの水たまりからベルナデッタが水を飲むと、やがてその水たまりから清らかな水が湧き出ました。
この水を飲んだ人々の中から聖母の取次ぎと神秘により、病気が治る人が現れ、ルルドは世界中に知れ渡るようになりました。
現在では年間数百万もの人々が病気や悩みを抱え、神様の恵みを求めてルルドを訪れています。
ルルドの水は「奇跡の水」といわれますが、神様に奇跡をおこさせるためにこの水を使うのは正しくありません。また、営利目的での水の使用も禁止されています。この水を飲んだり触れることで、神に対する信仰を表わすとともに、私たちの中に神が働かれます。私たちは聖母マリアの取次ぎによって痛みにも力が与えられ、苦しみが和らぐことを願い、ルルドの水をいただきます。そこに意味があると言えるでしょう。

ルルドの聖域ガイド

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*全体の見取り図

★マッサビエルの洞窟(グロット)(La grotte de massabielle)
聖母マリアがベルナデッタの前に現れた洞窟
祈りの場として昼夜問わず巡礼者が絶えることのない場所で、御ミサも毎日数回捧げられます。
聖母マリアの像は出現なさった場所におかれ、「私は無原罪のやどりです」とおっしゃった時の姿を表わしていますが、ベルナデッタは自分が見た貴婦人には全く似ていないと言ったと言われています。
グロットの奥、祭壇左手の床の岩の下からは、奇跡の水が今も湧き出ています。この水はいくつかの貯水池に集められ、ピッシーヌ(水浴場)とフォンティーヌ(給水場)に補給されています。
フォンティーヌの左手上にある大理石板には、出現の度にベルナデッタにお話になった言葉がきざまれています。
★ピッシーヌ(Les Piscines)
1955年、多くの巡礼者が水につかるために建てられました。ここには小さな洗水室(女性用11、男性用6)があり、毎日数百人の病人及び一般の人々が水につかります。
ドアの外には沢山の人が順番を待てるようにいすがならび、祈りのひとときを過ごしながら順番を待ちます。順番がくると衣類を脱ぎ、ボランティアがガウンをかぶせてくれたり、白いタオルを巻きつけてくれ、1人ずつ水の中にはいっていきます。水槽の奥にはマリア様の像があり、そこにキスをして戻ります。あっという間の水浴ですが、体を拭かずに衣服を着ても体がすっかりかわいていて驚きます。
★バシリカ大聖堂(La Basilique Superieure)
聖母マリアの「ここに聖堂を建てて下さい」という願いに応えて建てられた大聖堂です。側面のステンドグラスには、第一回目のご出現から、聖域内の広場に聖母像ができるまでの言わば「ルルドの歴史」が描かれています。
また入ってすぐ右手の大理石板には当時のタルブ教区・ローレンス司教の教書が刻まれています。司教は長い間の調査の末、ご出現の真正を認め、[神の御母聖マリアは真にベルナデッタにご出現された」と宣言しました。
★ロザリオの大聖堂(La Basilique du Rosaire)
ご出現後、30年余りして建てられたものです。ベルナデッタの前に現れた聖母マリアは、いつもロザリオを手にしていたことで、聖なるロザリオに捧げられている大聖堂です。
十字架の道行き(Le chemin de croix dans la montagne)
主イエス・キリストの受難を思い起こし、自分自身の信仰と向き合うための祈りですが、ルルドの聖域の中には高さ約2メートルもある等身大の彫刻によって表現され、約1.5キロの山道を歩きながら祈りを捧げます。病気の人々のためにはグロットとピシーヌの少し先に別の「十字架の道行き」があります。

ベルナデッタが過ごしたルルドの町

★ベルナデッタ
ベルナデッタは1844年に生まれ、2日目に洗礼を受け、信仰深いやさしい家族にかこまれ、水車小屋で幸せな生活をしていました。 父親の人の良さから、粉代を払わない人が多く、また、ペストの流行などにより生活が難しくなり、引越しをかさねました。ベルナデッタも掃除をして働き、学校にいくこともカトリックの教えである「公教要理」を学ぶこともできませんでした。
★カショー(Le cachot)
昔は牢獄として使われていた場所。聖母マリアのご出現当時、貧しいベルナデッタの一家6人はここに住んでいました。ベルナデッタが薪を拾いにこの家から出かけたとき、ご出現に出会いました。
★聖ベルナデッタ養育院(L'hospice St.Bernadette)
ベルナデッタはここで初聖体を受け、ヌヴェール愛徳姉妹会のシスターによって8年間教育を受け、その後この修道会に入会しました。
★ヌヴェール サン・ジタール修道院
1866年7月29日に着衣式を受け、スール・マリー・ベルナールという修道名で呼ばれるようになります。「聖母が私をお選びになったのは、私が一番貧しく無知な者だからです」と自覚し、生涯人に知られず隠れて生きることを望んでいたベルナデッタは、喘息に苦しめられながらも、看護助手や香部屋係りとして本部修道院で働き、ついに1879年4月16日に神に魂をゆだねました。