ステラコーポレーション
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聖書の世界 聖地イスラエル

聖地イスラエル見どころ

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●旧約の地
ハイファ・クムラン・マサダ・ネボ山

●新約の地
エンカレム・ナザレト・ベツレヘム・カファルナウム・タブハ・カナ・タボール山・エルサレム

歴史と由来

この地の歴史は、今から約4000年前、ユダヤ民族の祖先アブラハムが、かつて「約束の地(カナン)」と呼ばれたこの地にやってきたことにさかのぼります。
その後、旧約聖書の時代は、エジプトの地で奴隷となっていたイスラエルの民が預言者モーセによってエジプトを脱出し(出エジプト)、シナイ山で律法を受けます。モーゼはネボ山で[約束の地」を眺めながらなくなり、その後ヨシュアに引き連れられ、イスラエルの民は「約束の地」にはいります。
イエス・キリストの時代、この地はローマの属州となり、人々は疫病や貧困にあえいでいました。ガリラヤのナザレトからイエスが出現し、多くの奇跡と祈りを持って、人々に神の愛を説きます。
これらの公生活(宣教生活)の活動の地はまさにこのイスラエルを中心とする地域であり、ここを「聖書の世界」と表現するのがふさわしいでしょう。

見どころは限りなくあり、それぞれ意味深い地ですが、聖書の記述に基づいていない場所が聖蹟とされているような場合もあるとされています。聖書には正確な位置が示されている場合は少なく、人々の言い伝えを手がかりに制定された場所も多いので、建物や場所にこだわらず、まわりの景色も含めて触れ、その様子を広くとらえながら心や体で聖書の言葉を感じてきてみてはいかがでしょうか。
現在のイスラエルは、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教にとって大変重要な場所であり、建物によって様々な宗教の信徒たちによって管理されています。訪問する際は、各宗教それぞれに敬意を払い、指示に従って行動することが大切でしょう。

ここでは、特にイエス・キリストの宣教生活を含めた生涯に関連の深い地を中心に紹介いたします。

聖地巡礼のはじまり

起源326年、コンスタンチヌス大帝の母ヘレナは熱心なカトリック信者でしたが、イエス・キリストの足跡をたどる聖地巡礼をはじめ、キリストがはりつけられた十字架を見つけたとされています。これをきっかけに、エルサレムはキリスト教の聖地として中心的存在になりました。

イエス・キリストの足跡と聖地イスラエル
★ベツレヘム
イエス・キリストのご降誕の地として有名ですが、ここはダビデの故郷であり、人々はミカ5:1-2にあるように、ダビデの故郷であるこのベツレヘムから、メシア(救世主)が到来すると信じていました。

★ナザレト
東はタボール山など旧約聖書ゆかりの地を眺め、西にはカルメル山が見える景勝の地。旧約聖書にはナザレトは一度も出てきません。マリアが大天使ガブリエルからお告げをうけた地であり、イエスは公生活を始めるまで約30年間過ごされた場所でもあります。
受胎告知教会(Church of the annunciation)

アベマリアの頭文字「A」をかたどってつくられた三角屋根の聖堂が印象的。真ん中の聖堂には、マリアがお告げを受けた洞窟があります。この洞窟の上に、ビザンチンや十字軍時代に教会が建てられました。

聖ヨゼフ教会(Church of St.Joseph)

1914年に新築されて現在の形となりました。地下には洞穴の住居跡があり、伝承によると大工ヨセフの仕事場、もしくは聖家族が住んでいたところとされています。教会の壁には、大工仕事にいそしむ少年イエスの絵があります。

★エンカレム
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訪問教会(Church of Visitation) (ルカ 1:39~56)

親戚の聖マリアが洗者聖ヨハネの母エリザベトを訪ねてこの地へ来たのは、マリアがイエス・キリストを身ごもっていたときです。マリアがエリザベトに挨拶をしたとき、その子が胎内で踊ったといわれます。この時にマリアが歌った「マリア賛歌(マグニフィカート)が教会の壁に刻まれ、日本語のものもあります。

公(宣教)生活がはじまって
★カペナウム(Capernaum)
ヘブライ語の「慰めの村」という意味からきています。イエス・キリストはこの街にすみ、ガリラヤ地方の伝道活動の中心地としていました。(マル2:1)12人の弟子の1人であるペテロの家もこのカペナウムにありました。

★タブハ
ギリシア語で「7つの泉」の意味を示す言葉からきています。その名の通り、ここには7つの泉があります。
パンと魚の増加の教会(Church of the multiplication of loaves and fishes)

イエス・キリストが5つのパンと2匹の魚を祝福し、5000人を満腹にさせた奇跡を記念し、建てられました。(ルカ9:10-17) 教会の床にあるモザイクは、当時ガリラヤ湖畔に生息していたと見られる動植物が描かれており、祭壇近くには有名な「5つのパンと2匹の魚」のモザイクがあります。

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ペテロ首位権(召命)教会(Primacy of St.Peter's Church) 

イエス・キリストが、海辺を歩いておられたとき、漁師であったペテロに向かって「私について来なさい。人間を漁る漁師にしてあげよう」といわれたのはこの場所とされています(マタ4:18-20)。また、ペテロにむかって3度「私の羊を飼いなさい」と命じたのもこの場所とされ、カトリックではこれをもってペテロを初代の教皇に任じたとしています。

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山上の説教の教会

ガリラヤ湖の北西に位置する「祝福の山」に、1938年に建てられた美しい8角堂のフランシスコ会教会があります。伝承によると、ここでイエス・キリストが「山上の説教」(マタ5:1-12)を語り、弟子たちを祝福したところとされています。教会内には8つの祝福の言葉がラテン語で記され、この丘でイエスが12人の弟子を選んだとも言われています。

この山からガリラヤ湖を見渡す景色はすばらしいものです。

★カナ
ティベリアから西南21キロのところにカナの村があります。ここは、婚礼に招かれたイエス・キリストが水をぶどう酒にかえて祝福し、最初の奇跡を行なった場所として知られています。(ヨハ2:1-11)

★タボール山
ナザレから南東へ9キロのところに、お椀をふせたような形のタボール山があります。ここは、イエス・キリストが弟子たちの前で変容した山だといわれ(マタ17:1-8)、頂上にはフランシスコ修道会のご変容教会と、ギリシア正教の会堂が建っています。

★エルサレム
イスラエルの旅のハイライトは、間違いなくエルサレムでしょう。ここは見どころが特に多く、イエス・キリストの足跡をたずねるだけでも数日かかるとされています。
神殿の丘

旧市街の南東に位置し、2000年前、神殿のあった場所で現在はイスラム教の岩のドームなどが立ち並ぶ場所。幼少のイエス・キリストがたびたび訪れた場所でもあります。

主の涙の教会(Dominus Flevit) (ルカ19:41~44)

イエス・キリストが、この地から聖なる都をみて、エルサレムの運命を嘆き、滅亡を予言して涙を流したと伝えられています。この教会は涙のしずくの形をしており、果物の美しいモザイクが残されています。また、この地からユダヤ・キリスト信者の墓がみつかり、キリスト信者のもっとも古いシンボル「コンスタンティヌスのモノグラム(組み合わせ文字)と呼ばれるものが骨箱に描かれていました。その他発見された石棺とともに、「鞭打たれた教会」博物館に保管されています。

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ゲッセマネの園の教会(苦悶の教会・万国民の教会)(Garden of Gethsemane・Church of the All nations) (ルカ22:39~46)

オリーブ山の麓の中央に建っている教会。イエス・キリストがエルサレムで過ごした時、いつも祈りの場所として好まれていた場所です。十字架の死を前に、最後の晩餐を終えると、このゲッセマネの園に入り、血の汗をしたたらせて「父よ、御心ならば、どうぞこの杯をわたしから取りのけてください。しかし私の思いでなく御心がなるように」との祈りを捧げられました。

鶏鳴教会(Churth of St.Peter in Galicantu) (ルカ22:54-65)

ゲッセマネの園で捕らえられたイエスが、谷底からこの教会の地に達する幅広い石段を通って連れてこられました。この石段は、2000年前のものであることが確認されています。教会の地下には岩の牢屋があり、その小さいほうにイエスは最後の一晩留置され、総督ポンティオ・ピラトの法廷へ連行されたとされています。

眠れるマリアの教会と最後の晩餐の部屋

エルサレムにある教会の中でも、このマリアの教会は大きく美しい教会のひとつです。教会の地下には永眠するマリアの像があります。この教会の南側にある建物の中に小さな部屋があり、そこには「ダビデ王の墓」と伝えられる棺があります。その2階は、イエス・キリストが12人の弟子たちと最後の晩餐(ユダヤ教の最大の祭りである過ぎ越し祭の食事)をした部屋があります。手前の小さな部屋でイエスが弟子の足を洗われたとも言われます。また、イエスが十字架上で亡くなった50日後に、初めて弟子たちに聖霊が降臨した「ペンテコステの部屋」とも言われています。(使2:1-4)

ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa)

ローマ総督ピラトの官邸から、ゴルゴダの丘に至る道が悲しみの道「ヴィア・ドロローサ」です。全長約500メートル、ピラトに死刑の宣告をうけ、十字架上で処刑され、墓に収められるまでの14のステーション(留)があります。十字架の道行は巡礼マメ知識-教会訪問の手引きのページ

聖墳墓教会

イエス・キリストが十字架にかけられたゴルゴダの丘に建てられている教会です。紀元326年、コンスタンチヌス大帝の母へレナの聖地巡礼をきっかけに、キリスト教会の聖域が定められ始め、現在の場所に聖墳墓教会が建てられました。教会内部はキリスト教の5つの派によって分離管理されています。教会内部は殉教された地「マルティリオン」と呼ばれるところとイエスの墓を覆うように建てられた復活の場所「アナスタシス」と呼ばれるところによって成り立っています。

昇天教会(Church of Ascension)使1:6-9)

イエス・キリストが十字架にかかったあと復活し、40日目に弟子たちが見守る中で、オリブ山上からご昇天されました。それを記念して建てられたのがこの教会です。現在ここには2つの教会があり、紀元4世紀に、イエスが昇天されたときの足跡が残っている岩を覆うようにたてられたものと、1870年代に建てられた高い塔をもつロシア正教の教会があります。


旧約の世界
★ハイファ
カルメル山(Mount Carmel)

カルメル山は、聖書では麗しさの象徴として描かれています(雅7:6)。歴史的には、フェニキア領とイスラエル領に交互になり、バアルとヤハウェの聖所もありました。バアルの預言者とエリヤとの戦いの地となり、旧約聖書の中にも登場しています。(王上18:40-46)

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★クムラン
1947年の夏、ここで「死海写本」がみつかり、世界的に有名になりました。
紀元前1世紀から紀元1・2世紀にかけて、ユダヤ人が、ローマの支配下にあったエルサレムを離れ死海沿岸に住んでいましたが、エッセネ派と呼ばれる彼らの多くは宗教に熱心で、聖書の書写や購読を行なっていました。ローマ軍が攻めてきたときに羊皮紙に書き写した聖書を壷にいれ、洞窟に隠したとみられています。クムランからマサダまでの地域で見つかった600以上の写本は、旧約聖書の研究などに大きく貢献しました。

★マサダ
死海沿岸にそそり立つ高さ400メートルの山で、遠くから見ると孤島のようにみえます。「マサダ」とはアラム語で「要塞」を意味します。聖書によると、サウル王から逃れて荒野をさまよったダビデも、ここにいたようです。(サム上23:14)
紀元66~73年にかけて、ローマに対するユダヤ反乱軍の部隊としてマサダが登場し、歴史的に重要な地となりました。

★ネボ山
ヨルダンにあり、モーゼが「約束の地(カナン)」をながめながらなくなった地として有名です。
カナンを目指すイスラエルの民は、エジプトを出て40年目にこの山に至りました。旅の終わりの近いことを知ったモーセは、民をあつめて主から授かった教えを伝えました。このモーセの教えは旧約聖書の根幹となり、彼らはそれをトーラーと読んで信仰に生きる支えとしてきました。現代、虐殺の歴史の中で生き残ったユダヤ人が、自分たちの祖国を再建したのは、この教えが彼らの中に生き続けていたからとも言われます。
しかしモーセ自身は約束の地カナンに入ることはなく、約束の地を眺めながら亡くなりました。(申32:49-50)

聖地イスラエルの巡礼

政情が不安定で、紛争などで渡航ができなくなることもある地域ですが、一方でキリスト教信者にとっても一度は訪れたい聖地としてとても人気があります。
現地では、イスラエル在住約20年以上のベテランガイドにすべて案内をお願いし、現地手配はクリスチャン系の会社を利用し、現地の情報も随時寄せていただいています。個人で旅行されるより、目的を同じにしたグループで行動される方がより安心・安全になると思います。
見どころの多い地域なので、イスラエルだけでも10日~15日程度でゆっくりまわるのがおすすめですが、日本からは直行便がないため、韓国もしくはヨーロッパ経由で訪問しています。

お土産情報

オリーブの木が多いので、オリーブ細工の小物もたくさんあります。また、死海の泥でできた化粧品や、ナツメヤシの実でできたお菓子、ドライフルーツもおすすめします。
カトリックだけでなく、イスラム教、ユダヤ教にちなんだ小物もたくさんあります。使い方や意味がわからない場合もガイドに訪ねてみなさんいろいろと楽しんで買われています。